roots
こんにちは庄司勇輔です
今日は僕のこれまでを書きます
完全にコアな読者向けです笑
でもちゃんとおもしろくするから!!!!
寄ってってや。
- 幼少期
1996/12/20、宮城県大崎市(旧 古川市)の病院でオギャー
多分世界で一番早く「這う」から「歩く」に移行しました。
一歳前には走ってたんだとか
好奇心や探求心みたいなものは当時から持て余してたのかも。
よく走り回るガキンチョで、ケガの絶えないおデブちゃんでした
4,5歳になると、落ち着きのなさが災いした事件を起こすように。
友達を引き連れ、保育園から脱出してみたり
運動会のかけっこではスタートのピストルと同時に回れ右してブランコまで猛ダッシュしてみたり
このへんは現在の自分と照らし合わせるの難しいけど、どうなんでしょう?笑
他者から見たら意外とぼくっぽかったりしますかね?
勉強面では、
祖父母が小学校教師だったこともあり、スーパー英才教育でした
小学校に上がる前に足し、引き、かけ算、時計、漢字を詰め込まれてました
ローマ字もちょっと教えられてたような気がします
この英才教育が悪い方に転んじゃいます、、
- 小学校
入学式に遅刻。
これは母のせい笑
今と変わらずおチビちゃんでした
小一の記憶すごく鮮明なので詳しく書きますね
まず英才教育の落とし穴から。
公立小学校に入学し、一年間ほとんどまともに座学の授業を受けることができませんでした。
担任の先生が一生懸命教えるなか、ぼくは教室中を犬の真似して這っていました
もう全部知ってることだったから座ってられなかったんです
何度も母は呼び出しを食らい、病院に連れて行けと勧められたと笑っていました
授業以外にも、忘れ物の天才、宿題しない、配布物を親に出さない、ってのも「病院行け」発言に起因してたのかも
忘れ物しないようにランドセルに教科書ノート全科目分毎日入れてました
で、大問題児は次第に「ちゃんと」できるようになりました
でも圧倒的に欠如していたのが相手の感情を理解したり共感する能力
これは完全に今でも足りてない部分ですね
友達に怪我をさせることが多かった気がします
この場でごめんなさい、、
勉強もスポーツもたいてい困ることはありませんでした。
ただ苦手だったのは習字と図画工作
根っこは煩雑なので、全く向きませんでした
服と顔が汚れるだけの授業。
小四のときの担任の先生が文章力を見出してくれて、すごく親身に指導してくれたのを覚えています。
文章に自信を持ち始めて読むのも書くのも大好きになりました。
そして小五。この年の担任の先生はぼくの恩師です。
佐々木仁先生
あの頃は学校構内での喫煙がギリOKで、休み時間にグラウンドに行くとスパスパ嗜んでいる先生でした。
児童のいいところを褒めて伸ばしてくれる方で、ぼくの自己肯定感の強さはこの頃が大きく影響してる気がします。
大嫌いだった学校の授業に、集中して取り組めるようになったのもこの頃。
ちょっと疲れてきたでしょ?
ぼくも疲れたので今日は小五で一旦終わりますね。
こうやって振り返ると、教育は人格に大きく関わる要素で、
やっぱりここやと思います
ぼくが変えたいのは
国を変えるは人を変えるに同じ
仕組みを変えても人が変わらなければハマりません
教育が人をつくる
でもねその「教育」を変えるのも人なんです
人が教育をつくるんです
まだまだスタートライン
現状はいつだってサイテーだ。
あ、せやせや。
和歌山県会議員候補者のもとで勉強してみたい人いませんか?
興味ある
話をしてみたい
おもろそう
きっかけなんてなんでもええから!
気軽にコンタクトしてくださいな。
さあ地方から苦境をひっくりかえそうぜ!!!!!
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悪用してもいいけど、ぼくには「こうかがいまひとつ」やから、やっても無駄やで。
ではでは