殴り書きの革命草案

のちに伝説となる男の小さなブログ。自称ミスターアウトプット。来る者拒まず来ぬ者誘わず。

seesaw

 

 

 

どうも庄司です.

お久しぶりです.

 

とりあえず月に一回は更新しようという意志を強く持つところから

やり直していこうと思います.

そんな文字通りの「Shit」を提供する当ブログへようこそ.

 

 

さあさあさあ何を書き連ねようかと模索しておりますが,

今日は思想・思考というテーマでいきましょう.

 

 

 

 

例えば

 

 

定職,それも大企業の正社員といった職にありつくためには,

大卒という半ば「資格」を取得する必要があるわけです.

そんな大原のような学校にぼくも属しているのですが,

未だに違和感と葛藤の日々でありまして...

 

 

みんな,どこか形作られた枠内での発想というか思考になりがちで,

オリジナルとは言い難い人間性の創造を続けてしまっているのが現状.

 

 

そもそも学生の思想・思考に多様性を持たせる意図なんかあるのか,という

疑問符に満ち満ちた構造なんですけどもね...

 

 

 

「就職率〇〇%!」とか「国家試験合格率〇〇%!」みたいな文言が横行されてる時点でやばいってことなんです.

国家試験に合格できなければ卒業させないなんていう看護学校が存在するくらいだしね笑

 

つまりはそこをゴールに設定してる時点で,もう少し先の大未来みたいなポイントに対する思考がストップされてると思うのです.

 

 

それが個人の思想だろと言われてしまえばそれまでなのですが,

大学側に「こんな学生がほしい」と意図的な,いやもはや恣意的な思惑があるとするならばその時点でやばいんじゃないかと思うんです極論.

 

 

いやあると思いますよ「社会貢献に寄与でき得る資質の*@$#%!*」みたいなね.

でも多分違うっしょ笑

少なくとも就職率の高さを売りにしているならばね.

 

歯車がスタンダードだ,という前提での売りですから.

まあ大学ももはや商売ですもんね,少し黙ります.

 

 

 

 

ごちゃごちゃしてきましたので,整理します.

 

 

 

 

 

 

あなたはあなたのオリジナルの創造者の権利を持っていますか?

 

 

 

 

 

「どこが整理されとんねん」というツッコミを入れてください.ありがとうございます.

 

 

 

ここでは

自分の思想・思考が誰かの思惑に規定れていませんか?

とでも言っておきましょう.

 

 

 

誰かというのは,学校・職場・家庭・メディア等々です.

 

 

 

 

これらの環境にある種操作されているかもしれない,という発想に至っていないのなら...少し危険なのかもしれません.

 

 

 

何様やねん.

 

 

 

 

 

ありがとうございます庄司です.

 

 

 

 

死ぬほどこすられてるワード「個人」.

 

 

「個人の時代だ」

 

「これからは個人主義だ」

 

なんて言われてるけど,

 

 

様々な情報の中から本当に必要なものを摘み取り,

自らの意思で意図をもって「個人」の形成ができる社会.

 

 

 

 

そんなん作りてえなあ.

 

 

 

 

 

 

ま,こうやって戯言並べてますが,これすらも要るか要らんかの判断をしてください.

 

 

 

影響と操作は紙一重

 

 

 

 

 

 

庄司でした. danke!