殴り書きの革命草案

のちに伝説となる男の小さなブログ。自称ミスターアウトプット。来る者拒まず来ぬ者誘わず。

今更ながらM-1を考察する

 

 

 

あけましておめでとうございます.

 

今年もぼちぼち書きますので,クソの間にでも読んでくださいや.

 

 

 

今回はM-1

2019に引き続き考察していきます.

 

 

 

書く前にちょっと一回言わせてください.

 

 

芸人かっけぇ~~~~

 

 

M-1アナザーストーリー」ももちろん見たんですけど,

あれ泣かずに30分通しで見れる人います?

あんなんずるいですわ朝日放送さん.

 

そもそも漫才ってえげつないことやってると思うんですよ.

マイクに向かって二人で会話していく中で「笑い」を生みだしていく.

 

人を笑わせることをあんなにも簡単そうにやってのける,

漫才はまさに「芸事」なんですよ.

その頂点を決める大会.

これ正直天下一武道会勝ち抜くより難しいですよ.

 

 

 

で,そんな漫才武道会をミルクボーイが優勝したわけなんですけど,

ぼくは,大衆にはハマらないと思ってたんですよ.

ネタはすごく好きで,いろいろ見てきたうえでハマらん思ってて,

だからぼく相当見る目ないと思うんですけど,

いざ本番見たらこんなにウケるんやすげえすげえ,ってもうなんか込み上げてきて,

1本目のネタの時点で眼球表面張力マックスうるうるだったわけですよ.

人笑かす商売やのに,それすら超越して感涙させるってもうそれかめはめ波やで.

 

 

ほんでね,日本一の漫才師を決める大会やのに,

決勝進出者のメンツは毎度のことながら,

お笑いだけで飯食えてるコンビの方が少ないわけですよ.

お笑いだけじゃ,満足に食卓を囲めない.

無論自己責任ではありますが,あまりにも非情な世界.

己は歯を食いしばって,それでも人を笑わせる.

悔しさや妬み,嫉み,先に売れた同期は漫才よりもタレント業.

その方が稼げるという事実.

芸事において「漫才」の地位はどこにあって,どこに向かっているのだろう.

漫才師が持つ「美学」がどれだけ人の胸を打ったとて,

毎週放送されるような番組に漫才が入り込む余地はない.

その場でのトーク力,いわゆる平場でのスキルを求められ,

漫才がきっかけで売れた者も,

いつしかセンターマイクよりピンマイクでの活躍がお茶の間の評価軸となっていく.

チャンスを得て浮かんではまた沈み,それでも再起をかけて必死にお笑いに向き合う.

 

 

 

そんなん泣くやん...

 

 

 

 

 

芸人なりたいって思ってまうやん...

 

 

 

 

でもときどき痛々しくて見てられないんです.

 

 

ケガや爆弾を抱えたままマウンドに上がる高校球児を見ているかのようで.

 

 

 

 

あの日,日本中を笑わせた彼らは本当は泣きたい人たちなんじゃないかって.

 

 

 

そういう世間からの要望に応え,さらにあおるかのようにメディアは飾り立て,

彼らの苦労や苦悩は一夜にして美談に塗り替えられる.
それでも彼らの生活は保障されない.

彼らがそれを理解したうえで選択した人生なのだから仕方ない,

そう言ってしまえばそれまでだけど,ほんまにそれでいいんですかね.

 

 

 

一瞬のきらめきに人生をかける芸人たちを誰が守るんですか.

 

ぼくの考えは甘えですかね?

 

教えてください吉本興業さん.

 

 

 

芸人は企業の持ち物なのでしょうか?

 

 

人をモノを正当に評価する仕組みってないんすかね.

 

 

今日はモヤモヤしたまま終わらせたるからな!!!!!

 

 

 

バーイ.