「最も優れた漫才師の一人」という一見間違った日本語の用法についに答えを見出す
冬,息してるか?
庄司です.
師走に蚊に吸われました.庄司勇輔です.
いやー
M-1,見ました?
今年もしびれました.
漫才が好きで,毎年楽しみで,予選から勝手にソワソワしちゃって,
「人を笑かす」ただそれだけなのにすげえかっこよくて,
某審査員の言葉を拝借するならば「わたし,フアンなんです」ってなもんで.
今年はブログを開設したということもあり,
これは,と思い立ちまして筆を,否,PCを開いた次第.
決勝の結果は置いときまして,
今日は審査に視点を合わせてまいりましょう.
あんなに熱く語っておきながら,, すみません.
さて!
ひとまずM-1を「最も優れた漫才師たちの競演」というめんどくせえ日本語で定義づけるところから.
そして出場者の各人を「最も優れた漫才師の一人」と定義しておきます.
この「最も優れた〇〇(複数)の一人」という日本語の用法,長年ぼくを苦しめてきたのですが,ついにしっぽを掴みました.
と言っても解はだいぶ前に出て自分では納得していたのですが.
これを契機にアウトプットしておきます.
大前提に言葉の意味からさらっていくと,
「最も=1番」であるということ.
な!の!に!
「そのうちの一人」という「一番は,いっぱいおらはんねんで」という要素を孕んでもうている.
「一番の人はいっぱいいて,そのいっぱいのなかの一人やで」という同率1位(で合ってると思うんやけども..)続出案件に見えてしまう.
ここがこのフレーズの居心地の悪さというか,微妙な違和感の原因.
正直「こんなん日本語じゃねえ」っていうコアな日本語ヘッズも絶対おるとおもうんやけど,これが日本語として認定されうる場面があります.
そして,わかりやすい例が
そそ,M-1でした☻
「漫才」を競技化し,点数や票数で勝敗を決めるというまず土台無理がある大会.
そもそも「漫才」はノールールに近いと言っていいほど多ジャンルで,そこが漫才師たちの個性の見せ所でもあるわけです.
フィギュアスケートや体操といった美しさを基準にして競うスポーツならば,既存の技の範囲内(ある程度)で,綺麗かそうでないかの審査ができるわけですが,
こと漫才に関しては,技を繰り出してクオリティを競う「スポーツ」ではありません故,数値化するのがすごく難しい複雑なテーマであること.と思われるんだわ.
だから!
彼らは「最も優れた漫才師たち」なんですよね.
あくまで One of Them.
全員一番.
みんな国民を笑かした人たち.
「甲乙つけがた」すぎて,「あー,もうまじみんな最も優れてるわお手上げンゴ」みたいな表現だったんすよね.
その点彼らは芸術家で.
歌や絵画と並ぶものだなと.
絵に点数をつけるのはナンセンスだし,歌に点数をつけるのも然り.
あ,カラオケの採点は別よ!
模写して再現性測るみたいなもんやから.
既存のものと比較してどうか!ってのはもう芸術じゃなくなっちゃうんだな,と実感.
そうなってくると,改めて彼らかっこいいじゃないすか.
明確な得点基準がないとわかっていながら,
審査員のメンツ次第で順位が変動するとわかっていながら,
それでも優勝をめざすんですよね.
もうロマンだわ.
「うまいと思わせちゃダメ」って言うてた審査員の言葉が刺さります.
即興というていで漫才は成り立っていて,
そこに「技術」が顔を出してくるのは違うんだみたいな.
いやかっこえ.
むちゃくちゃかっこええ.
ボキャ貧なってまう.
毎年思うけど
漫才やばいな!!!
芸人やばいな!
もうごちゃごちゃ.
おれもみんなを笑かしたるさかい!
そんな国造るさかい!
みんなでそんな国を目指せるようにするさかい.
最後無理やりぃ汗
p.s. 来年こそ金属バット...